今週の猪瀬直樹の「眼からウロコ」の釣り針がデカ過ぎる件

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100424/223139/
普段割と楽しく読ませていただいている本コラムですが…今週の記事は釣りとしか思えないくらい酷いです。まあ、一度読まれることをお勧め致します。


本記事では、最近の20代、30代が本を読まなくなってきていて、さらには新聞の購読率においても、未購読者を20代、30代が大半を占めると言う話で始まる。しかし、その理論があまりにずさんで、筆者が後で言う論理的な説明能力のカケラも感じさせません。

活字離れの実態は、講演会の際に集計したアンケート結果からもわかった。

まず、講演会という限定された場所でのアンケートである段階で、それを活字離れの実態と言い切る議論がアホすぎる。恣意的に集められた集合を一般化してどうするんですか?
で、読まなかったと答えた集合の中の年齢層別の配分を見て、若者の活字離れが進んでいる、だそうです。全体の集合の中の年齢配分も挙げないで、読まなかった層の年齢配分だけ挙げてどうするんですか?例えば、本の場合40代、50代の該当者がそれぞれ4人ということですが、では、そもそも全体で参加していた40代50代の人は何人だったのか?どっちも実は4人分ずつしか有効回答がありませんでした、だと、40代50代に本を読む人間は居なかった、という、全く違う結論になりますけど?アンケートの信憑性は?これは単に、年を食うほどに見栄っ張りになって、読んでもいないものを読んでいることにしたくなる、ってことだったりしませんか?少なくとも、『「活字離れ」に関する有識者勉強会』の講演の後のアンケートであっては、見栄も張らずに正直に書いた人の方が少なかったりしませんか?(むしろ、正直に書いた人が勇者のような…。)本を読んでいない人間は少な目だが、新聞を購読していないと言う20代30代は多いのは、本を読んでいないのは恥ずかしいと感じても、新聞なんて読まないぜ、とそちらはむしろ誇らしいと思っているだけかもしれませんよ?
とりあえず、最低でも、恣意的ではないもっと多くのサンプルが無いと話にならないでしょう。世代、性別などの配分の均等化。そして、活字離れが進んでいる、と言うのなら、同一条件での過去データの提示を。特に過去のデータに関しては、時代背景など多用な要因が勘案されますのでそれも含めて議論できる程度のサンプル数が望ましいです。それさえ、揃えないでデータ出しても、意図的なミスリードを狙っていると鼻で笑わざるを得ませんよ?査読でこんなデータ載せた論文出てきたら、価値無し速攻リジェクトです。

日本人の活字離れは深刻な事態に陥っている。昔は電車のなかで新聞や文庫本、週刊誌を読んでいたものだ。いまは携帯電話や携帯型ゲームが目立つ。

とゆーか、この段階で新しい文化を受け入れられない老人臭しかしません。携帯電話でもメールのやりとりなり、webブラウジングなりは大抵は文章の読み書きですよね?そういう形でのコミュニケーションなり、モノを読み書きという行動に対する統計も取っていなければ、その効果も検証していないのに、何を言っているんでしょうか?ゲームだって文字読まないモノばかりでもないですよ?
質に関して言うと、そもそも、新聞にしてもスポーツ新聞だってあるわけで、週刊誌にしてもあまり高尚な内容と思えないような吊り広告ばかりがぶら下がっていますけど?私の話で言えば、現在、読書量が増えています。ラノベですけど。月間で言えば数冊は堅いですかねぇ。ラノベですけど。示されている統計で言えば上位20%に入りますね。ラノベですけど。で、これで読解力が養われるかと言われると、ちょっと微妙と自分でも感じますけど?だって、娯楽のために読んでいるんであって、読解力のために読んでいるんじゃないですし。まあ、それはともかく、読んでいる本の質に関して言及することもなく数だけ言及してもあまり意味無いと思うんですけど。ラノベなんてモノによっては文字で書かれた漫画でしかないですし。ちなみに、うちの母の愛読していた赤川次郎(末期)も大概だったと思う。
本を読むことはいいことだ、本を読むことで読解力が上がる、というのは、子供の学力との相関が見られるという統計なら聞くことはありますが、それさえも、本を読む効果として学力が伸びているのか、本を読ませようとするような家は、もそもが裕福で教育熱心(悪く言えば点で子供を評価すると言えるかも)だからそうなるのかさえ、明確になっていません。ましてや、成人以降となっては学力なんて適用しやすい評価基準はありませんし。
では、何を持って読書量が増えることは良いことだ、と言えるんでしょうか?ああ、読書量が増えれば出版社や執筆家の収入が増えると。それはモノを書く方としては素敵ですね。
読書量と収入の相関でも取ってみますか?若者の収入が少ないのは本を読まないからだ!という画期的な結果が得られそうで素敵すね。そうしたら、若者の収入の増加のために是非、活字離れを食い止めて下さい。

江戸時代の日本人の識字率は世界一だった。だから日本はアジアで初めて近代化できた。資源小国は人材がすべてである。

活字離れと識字率を同列に語んなよ。活字離れのせいで識字率下がってるの?だから、近代化できた?歴史的背景完全無視ですか?

2ページ目に行くと、次の段落で始まる。

川氏の講演会では、立ち見も出た。読解力教育で世界のトップを行くフィンランドの事情をはじめ、以下のようなことを話していただいた。

ごめん、一文目が何を言いたいのかが全く分からない…。なんで、ここでいきなり立ち見が出たことをアピールしなくちゃならんのですか?つまり、立ち見が出るほどに興味深くて価値が有る内容で、だからして、この内容は全面的に信頼されてしかるべきである、ということ?イミフですね。
アンケートの有効回答が254件ですので、まあ、そこそこの広さの講堂くらいですか。小学校の体育館ほどの広さだと立ち見にはならない程度ですかねぇ。でしたら、正しい感想は「事前リサーチ通り、盛況さをアピールできる程度の人の入りで良かったですね」でしょうか?「それとも会場設営者は有能な方なんですね」ですかねぇ?

グローバル化が進む現代では、価値観の共有を前提としないコミュニケーションを考えなければいけない。簡単に分かり合うと思ってはいけないのだ。だから、言語力を磨くことが重要となる。

言語力は大事ですよね。でもこの場合の言語力って、これまでに語られている読解力とイコールなんですか?同じなら言葉を統一してください。違うなら言葉をすり替えないで、両者の間の関係を明示してから使って下さい。
以下、テストとフィンランドマンセーな内容が続く。総参加国数は?他国のデータは?読解力テスト以外の結果は?相対的な偏差の変化は?異なる年度間の絶対的な得点率の変化は?とか、都合の悪いデータをオープンにしないで、統計の恣意的な面を見せて結論を導出するのって、社会学者の得意な詐欺ですよね。

3ページ目の話の引用も、さっぱり。

北川氏が話してくれたこの話はわかりやすい。

で、始まる。が、話の内容と、前後の文脈が繋がらない。引用された話はわかりやすいかもしれないが、それで言いたいことがイマイチ分からない。
話の内容は、日本人がどっちでも良いと、相手に決定権をゆだねる態度が、ヨーロッパでは嫌がられかねない、という話。まあ、そうかもなぁ、と思いつつも、それって単に「貴方と一緒で」とか「貴方にとって手間のかからない方で」って言い換えれば良いだけのような。というか、自分もどっちでもいいし、相手に決めさせようと思っていたんだけど相手もどっちでも良いと言ったからムッとした、なんじゃないかと…。なお、自分自身忘れがちですが、I am 小学校時代殆ど6年間をイギリスはスコットランドで過ごした帰国子女、なんですよ*1
一方で、前後は日本の表現が曖昧で、好きだとか嫌いだとかの理由を表明できないことを言っている。…ひょっとして、猪瀬氏は、私の書いたように、「貴方と一緒で」とか「貴方にとって手間のかからない方で」とかいう表現をちゃんとできないのが問題なんだって言ってるのか…?でも、それだとすると、北川氏のお話を、全否定してるような。だって、北川氏のお話は、フィンランドの人が怒るのは決定権をゆだねられることは不快だ、と感じるからなんだという結論になっているのに…。本当に、よく分かりません。

さらに4ページ目へ。

三森氏は、ミレーの「落ち穂拾い」を見て、論理的に感想文を書かせている日本の中学校の事例を紹介してくれた。日本人でも、意識的に訓練すれば、中学生でも充分に読解力を身につけることができる。

続く話は、論理的な思考の話。ディベートの訓練で論理的な思考を組み立てる技術を身につける話は良くありますね。私も小学生でしたが当時何度かやりましたよ。小3くらいの頃初めてやったときには、先生が「まだ、ちょっと早かったか」って言ってましたけど。
でもさぁ…例が悪すぎない?芸術を直感じゃなくて論理で理解しようという話は極端過ぎると思うんですが。芸術は曖昧に感じても良いじゃないですか。絵の好き嫌いなんて人と違って良いじゃないですか。世界的に評価されている名画が理解できなくても良いじゃないですか。貴方が先生だとして、〜の絵は〜という値段が付いているから素晴らしいと感じる、とでも論じた子供にどうコメントするつもりですか?と言いたい。
また、個人的には論理思考が必ずしも優れていて、人類はすべからくそう言う思考をするべきだ、とは思わないんですけどねぇ。人間が曖昧に好きとか嫌いとか、道を選んだりといった判断をする時には、無意識下で過去の様々な経験を参照しているんだという話も聞いたことがあります。こういう感情とかには一見すると明確な論理はないように思うのですが、その実、案外深層心理下での複雑な駆け引きの元に導出されているものなのだと。だとすると、過度の論理思考の訓練は、明確な論理は示せないがなんとなく、という直感を封じ込めてしまうものなんじゃないですかね?自分自身がどちらかと言えば恩恵を受けている側の人間だと自覚した上で言いますが、こういう論理的に正しい者が正しいという考え方は、頭がキレる人間が自分の都合の良いように他人を動かそうとするための方便でしかないように感じる部分があるんですよね。
ああ、それから。論理的思考は大事ですよね。でもこの場合の論理的って、これまでに語られている読解力とイコールなんですか?同じなら言葉を統一してください。違うなら言葉をすり替えないで、両者の間の関係を明示してから使って下さい。っつーか、私の知っている本を読んで身につくかも知れない読解力って、論理的な思考、あるいはそれを駆使して自己表現というか相手を論破するディベート能力とは全然違うものだと思うんですけどね?

さて、最後の5ページ目。

日本人が国際交渉に弱いのは論理的思考ができないからだ

っていいうのは一見正しそうに聞こえますが…それこそ、バカじゃないの?と。まあ、国際交渉の場では通訳付きで、論理的思考ができなくてもなれる政治家の先生の世界ではそうなのかも知れませんけどね。日本にだって、別に学術分野などその分野で頭がキレて論理的なディベートが出来る人間は沢山いますよ。ところが、特定の分野で日本を代表して交渉できるくらいの専門性と、日本語でならば論理的なディベートで打ち勝てる程の思考能力があったとしても、英語力が両立しないケースが多いんですよ。むしろ国際的に見て英語力に劣る日本人では、両者が両立している人間の方が珍しいんですよ。
別に論理的な思考を促すトレーニングをもっと行うべきだという主張はアリだと思います。私個人としては、論理的な思考にも人の向き不向きは有ると思いますし、直感力に優れる人はそれを伸ばせばいいと思いますが(そして日本語という言語はむしろ直感力を発揮するために向いている言語であると個人的には思う)。
ですが、学術的な国際会議や標準化の場を知らずに*2、論理的思考ができる人間の絶対数が足りないからだ、という理屈には反発を覚えずにはいられません。
先に言いました通り、日本人は国際的に見て英語力、というより英会話力に劣ると言われています。これは、英語学習の時間の問題では無いでしょう。実際、日本における英語学習に当てられている時間は世界的に劣る訳ではないという話ですし、筆記の分野では日本人の英語はそれなりの成績を収めているという話があります。日本人の最大のハンデは、日本語という言語の発音で用いる音が、英語で用いる音とかけ離れていることが原因でしょう。
公文式の教室で英語を教えている母から聞いた話ではありますが、人間が音を聞き分ける能力が主に発達するのは3歳前後だそうです。この音の学習能力はせいぜい5歳程度までしか持続しないそうです。そして、このときに聞くことのなかった発音を聞き分ける能力はそれ以降では形成され辛いそうです。そのため、発音の体系が大きく異なる英語などの外国語の音を、それ以降の学習で聞き分けられるようになるのは困難なのだそうです。(まあ、公文式では、だからこそ早期の英語学習が必要なんだぜ、という理屈に行き着くんですけどね?)もちろん、それに対して日本の教育も手をこまねいて見ているだけではなかったんでしょうが、残念ながら、周りに基本的に正しい英語の発音ができる人間が教える側にも殆どいない状況では、到底幼少期に英語を聞き分けられる耳を形成できるレベルになるはずもなく。*3
なら、どうしろ、と言われると…3歳ぐらいから小学校卒業まで英語圏の現地校にぶちこんだら嫌でも喋れるようになって帰ってきますよ?まあ、もっとも、その頃には日本語が話せなくなっているかも知れませんけどね。あと、それが本人にとって幸せかどうかも分かりませんけど。
まあ、そんな感じで、日本人の英語力に関するハンデに関しては、一朝一夕に解決できるような問題ではないのは重々承知ですけど、まるで、活字を読めば論理的な思考力が育成されて、それによって、日本は国際交渉の場で、これで勝つる!となるなんていうのは、妄言にしか思えません。


感想、ツッコミどころ多すぎ。読み始めた時は、紙媒体としての新聞の価値の低下と、新しいメディアを忌避する老人像、という話の予定でしたが…。
あと、推敲していませんので酷い文章になっていそうですが、今日の所は以上。(後で直します)

*1:なお、帰国子女の女は夫の仕事に連れられて渡航した妻のことを指す。子供だけを指す言葉と思われがちですし、実際そのように運用されている雰囲気がありますけどね

*2:なお、標準化などで日本が勝てないもう英語力以外の理由としては、開催場所が米国かヨーロッパが基本だからということが挙げられます。地理的に離れていることは、ちょっと他のメンバーと会ってコンタクトを取るということを出来なくしてしまいます。また、企業にとっても高い旅費を払って多数のメンバーを送り込み続けること自体が困難。参加するメンバーにも時差やエコノミークラスでの長いフライトといった肉体的なハンデが科せられるからです。相手と同じ能力であっても、自分はHP80%から殴り合いしたら勝てないのは明白

*3:なお、余談ですが、特定の言語での思考体系が定着するのは11歳頃だそうです。なので、我が家では、私が一番恩恵を受けた、というのが定説になってます。