久しぶりに

ちょっと忙しかったりするのですが…色々と思うところがあったニュースがあったので。
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/y/151/
まあ、納得というか、有る程度賛同できる面は無くもないのですが、大部分は記事に対するコメントでも、ものっそ叩かれている通りかと。そう言う意味では大して書く意味はないのですが…。記事の内容を私なりに要約すると「最近叩かれまくってる報道だけど、お前らだけじゃやっていけないんだから、敬え」という報道側からの擁護、かと。まあ、短いですし、ちょっと読んでみていただければ。その上で、大半はコメントに書かれている内容の通りだなぁ、と。そちらは、玉石混淆ですが、かなり賛同できるモノが多いですね。


私自身の過去の日記http://d.hatena.ne.jp/hottowel/20081206#p1でも書いてみましたが、報道の観点でテレビを始めとするマスメディアが必要であることは事実で、その質が低下することは避けて欲しいと思っています。そして、ネットがあれば新聞やテレビの報道は要らないかというと、そんなことはなく、1次情報源としてのマスメディアの存在は必要不可欠です。前回は、主にテレビの話題でしたので、映像の速報性、情報量の多さに着目しての必要性を中心に話してはおりますが、1次情報源としての必要性はマスメディア全体に共通するモノです。そして、ネットが有する機能というのは報道ではなく、報道された1次情報を集約し精査し吟味するための場であると考えております。
そのため、新聞報道を始めとするマスメディアが必要ないと言っているのは、ネット上の情報のソースを理解できていないバカというだけのことでしょう。そういうバカに対して以下のように言いたくなる、それは分からなくはないです。

メディアに対するさまざまな批判は承知しているが、見逃せない点を指摘しなくてはならない。「ニュースはネットで見るから新聞は要らない」「公的機関が発表するだけでいい。これをネットで見ればこと足りる。間にマスコミが入るからおかしなことになる」といった趣旨の批判である。

だが、報道そのものが要らないという主張がネット側の*1人間の大半の意見かというと、そんな訳はないでしょう。むしろ、メディア不信の原因は、メディア側の与えてやる側という姿勢が透けて見えることに対する反感でしょう。記事に対するコメントでも多くの反論が有りましたが、2ページ目から始まる内容には、自分たちは特別な専門性があって、さらに大変な思いをしているんだという意識がとても良く見て取れますね。まずは、1ページ目にある不断の努力を考える前に、その傲慢な意識を無くす、というより、そういう意識でいるとしか見られていない、ということを認識するべきかと。
また、コメントに官僚と同じ、と書かれている方もいらっしゃいましたが、私も同じように感じました。その方が意図された内容とはやや理由は異なるのかも知れませんが。誰からも批判を受けることがない、批判されようとも揺るぎない立場から、優秀な自分たちが世の中を動かしてきた、という思いが根ざしていると見受けられる点で、非常に似通っていると思うのです。
批判というのは、その内容がより重大でかつ的確なモノほど耳に痛いですから、受け入れるのが困難です。しかし、世の中の多くの職業の人間が、それらに耳を傾けざるを得ないのは、結局のところ、仕事でありお金を稼ぐためだから、ということに尽きるでしょう。一方、メディアの顧客はあくまで広告主であり、一般大衆ではない、という構図がずっと続いてきたわけです。ですので、批判的な投書が少々届こうが、自分たちの給料には関係がないし、会社としても関係がない。そうすると、報道を行う相手は大衆ではあるが、報道の内容が大衆の求めるものではなく、自分たちや広告主に都合の良いものとなるのは必然でしょう。さらに、情報を発信できるのは自分たちだけという特権がある限り、人々の不満が一致団結して逆風となって吹いてくるようなことは、メディア間で裏切りでも行われない限りはあり得ない。そういった、批判を受け慣れて来なかった立場だから、逆にインターネットという発言の場を得たネット側の人間から評価、批評されることに耐えられずにいるのだと感じます。そうして、ネットが自分たちに楯突く害悪だ、というスタンスでアンチネット論を繰り広げるわけですが…。
しかし、報道機関は自分たちが世論であり正義であると思っているのかも知れませんが、ネット上の声というのは、年齢層がやや若年寄りに偏っていることを除けば、案外普通の意見なんですよね。もちろん、コミュニティによっては偏りはありますが、多くの意見が集まる場所というのは、論理的な説得力と数だけが説得力を持ち得るものですから。
本来は、広告主の顧客こそが読者・視聴者である一般大衆であり、その一般大衆を無視した報道が、広告主への背任に繋がるはずなのですが、そのような認識が今までされてこなかったわけです。ところが、不況の煽りも受けて、スポンサー側の精査が進むと同時に、ネットを元に展開される運動が、会社を揺るがしかねなくなってきたわけです。
ネットは報道の代替ではない、それは間違いないです。しかし、ネットが情報の集約、内容の精査、意見の交換を可能にする場であり、お互いを監視し合うのではなく、馴れ合いを続ける日本の報道機関に対して、唯一不信任を突きつける機能を有するようになる可能性があると思っています。
そうした先にあるものが、何かは私には分かりません。報道機関の整理統合か、小規模多様化により、情報を個人に売る形となるのか、それが、現在より健全であるか、そうでないか。しかし、筆者の花岡氏に問いたい、何をやっても経営が立ちゆかなくなることはない、そんな企業が健全で有り続けられると、本当にお思いですか?

*1:定義が曖昧ですがあえてこう書いてみます