忙中閑あり…

というわけで、忙しいときほどニュースが読みたくなるたをるです。…あうあうあう、現実逃避したいぜ…。

辞任関連

やはり今日になって本日の必読の方でも首相辞任関連の記事が多く挙がってきていました。色々な視点がありましたが個人的に、一番まともというか?客観的な視点に見えたのがこちら。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20080902/169548/

まあ、海外紙と言うこともあってでしょうが、大体は賛同できる内容だったっと思います。唯一残念なのは最後の方ですかね。原文読んでないからなんともですが「距離感が不人気の原因」であると受け止めることと「自分の感覚を正当化」することとは関係ないなぁと。自分の感覚が正当であるならば人気があって、辞任することになるはずはないというのは、なんというか欧米人の傲慢な感覚かと。物事を客観的に捉えられること自体が、日本人の感覚では大人であり褒められるべきことであり、客観的に見ることと自分の主張が世の大勢と一致するかどうか、ましてや、その大衆に安易に迎合するかどうかは別だと主張しているということを理解できていないと感じました。私には、先にぶしつけな質問をぶつけた記者の方がもとより失礼と感じますし。そして、その失礼さが「貴方と違って」と言わせた原因であることを理解して欲しいものです。結果として、言い返してしまったために五十歩百歩な印象は有りますが、喧嘩を売ったのは記者の方でしょう、と。そして、いわば敗軍の将となった者に、必要以上に侮蔑の言葉を投げつける行為自体が恥じるべきものだというのも、日本人の感覚ではないでしょうか?むしろ、落ち目の政権を叩き続けて、自分たちがついには辞任に追い込んだ、というマスゴミの思い上がりまで含まれているような気がしてなりません。

「区域外再送信」に反対するローカル局

何のお話かを簡単にまとめますと、発端は総務省パブリックコメントなんですが、そこで地方のローカルテレビ局が、本来その地域では電波が届かず見られない中央のテレビチャンネルをケーブルテレビにて放送するのを取り締まって欲しいと言う提言をしているということです。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/nmg/20080901/169417/

2ページ目の下り

CATVの受信者とそれ以外の情報格差というお題目で、実のところはローカル局既得権益保護を本当の狙いとして、CATVの区域外送信をとにかくつぶそうと躍起になっているのだ。

これが全てでしょう。

元々、テレビを見ない人間ですのでどうでも良いと言えば良いのですが、ともかく、見苦しい。価値がないテレビ局なら潰れれば良いじゃない。うちが潰れないよう守って下さい、ってことならそう言えよ…見苦しいのには変わらないけど。

ちなみに、こういうお話も。

http://imogayu.blogspot.com/2008/07/blog-post_24.html

特に無くなった大きな後ろ盾に関するお話は興味深かったです。むしろ、最初、後ろ盾と聞いて、広告収入のお話か?と思ったので。

カンバセーショナルマーケティングの近未来

http://business.nikkeibp.co.jp/article/nmg/20080702/164359/

企業側から立って見た際の、インターネットというメディアに関する接し方に関するお話が中心だと理解しました。中々、面白いですね。

同じようなインターネットのメディアとしての性質に関しては、他の記事でも読んできましたが、こちらの記事では変にインターネットの向こう側にいる人の人間像に言及することなく語っているという点で興味が惹かれ、過去の記事も読んでみる気になりました。

全体的にそつが無い記事で、行きすぎず良い感じに本質を語られている、といいう印象を受けました。その分、物足りなくもありますが。

その中で、特に「ウソやヤラセ」広告に関するお話が興味深かったですね。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/nmg/20080812/167880/

こちらの記事では、ネットにおける関係がフラットであることが、テレビでは許容できた「ウソやヤラセ」がネットでは許容できないと書かれています。確かに、そうなのかも知れないと思う反面、それ以外の要素も感じました。

もちろん、関係がフラットで、双方向性があることは一因なのだとは思います。しかし、それはネットが特殊なのではなく、テレビといったマスの広告が特殊なのだと思うのです。つまり、そういった押しつけ型の広告は少なからずウソだということを認め、その程度のものであるという諦めをみんな持って育ってきたからではないかと思うのです。

例えば、テレビCMで見たとても美味しそうなお菓子は、いつも食べていたお菓子と比べて特別に美味しいものではなかったりしませんでしたか?見た目の良いタレントの使っている化粧品などを使っても、大して代わり映えがしなかったりしませんでしたか?自動車のCMを見て快晴の空の下、自然溢れる中を気持ちよくドライブしている様子は、自分が購入したとして再現されることが無かったりしませんでしたか?私たちはテレビはウソだ、ということをずっとインプリンティングされてきたのではないでしょうか?それに抗議しようにも訴える先もなく、気がつくと諦めてきたというだけなのだと思うのですよ。期待を裏切られたとき、私たちはできることなら一言でも文句が言いたいと思うものでしょう。しかし、テレビにはそれが困難であった。そのため、諦めとともに、テレビの(特に宣伝というものは)所詮その程度の信用に足らないものであるという見方をしてきただけではないでしょうか?

例えば、ネット上であっても、一方的に押しつけられる広告であるバナー広告や検索広告などの内容は、かなり誇大気味な広告に見えるわけですが、それを気にすることは少ないと思うのです。つまり、そういった、臨んでも居ないのに押しつけられる広告にウソはつきものだと、そう思っているからではないでしょうか?

そう言う意味で、ネット上でのブログなどのメディアにおけるウソやヤラセを誰も気にしなくなる日は、クチコミメディアとしてのネットの価値こそが失われたときなのではないかと思うのです。