工学部離れ

理系離れの中でも特に工学部離れ、なかでも、自分の元いた電気電子離れという話で中々興味深かったですね。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20080811/167777/

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20080812/167877/

色々、思うところはあるのですが、これがまた難しい問題だと思うのですよね。

個人的な現状の分析?というか、認識ですかね?それをまず述べておきますかね。まあ、所詮素人なので、極端だったり不適切な表現だったりする部分もあるかも知れませんがご容赦下さい。私は基本的に物事を考える上で、まず単純化する傾向があるので。

資本主義社会なのだから当たり前なのですが、資本そのものが神で、その資本に使われる労働力が奴隷というのが基本の構図ですよね。それに対して資本を集めて運用する金融関係者が、神の代理人となり奴隷を使役する聖職者みたいなものですね。この聖職者の権限とそこに集まるお金が大きくなっている*1

日本でも、元々、聖職者の力は大きかったのですが、奴隷であっても生活が良くなっていく間は、みんなあんまり気にしていなかったのですね。ところが、奴隷の生活がどんどん苦しくなってきた。すると、よりよい生活をするために、使われる側ではなく使う側に、使役される側より使役される側になるために、聖職者になろう、という奴隷ばかりが増えてきた。これが日本の現状と。

で、今後どうなるか。聖職者と一言で言っても、多くの信仰を集められる、多くの神の奇跡を行使できる才能(なり実績なり運なりなんでも良いです)がある者とそうでない者が実際には居るんですよね。さらに、聖職者を目指す人間ばかりが増えても、実際に動かせる神の力の無い者とかが増えてくると。まあ、早い話が競争が激化して勝ち組は相変わらず勝ち組なのですが、負け組が拡大すると。また、人の減ってしまった奴隷の集落はどうなるかというと、信仰が集められなくなってくるので、神の力がどんどん及ばなくなります。まあ、早い話が産業に競争力が無くなって、投資対象としての旨味が無くなって資本が引き上げると。

そもそも、奴隷が減る理由は、先の通り経済的に恵まれないという問題、また、その先に希望などが見いだせないという問題、あるいは、ある程度の部分では風評被害に近いものも出てきているようにも思います*2

では、日本の奴隷の給料の値段を上げてやれば、改善するのか…というと、そうとも思えないのですよね。それだけの給料が、現実として出せないからです。何故出せないのか?それは、それだけ企業に競争力が無いからです。日本の産業は、日本人の真面目で緻密(?)な気質から高度経済成長を遂げたわけで、それだけ優れているはずだ…というのは幻想ですね。団塊の世代の奴隷さん達などは本気でそう思ってそうで怖いのですが。もしそうならば、今の中国の成長は、虚偽と偽装に満ちた中国人の素晴らしい気質によるモノなんじゃないですかね?

日本の高度経済成長の原動力が何かには色々な考え方があるでしょう。先の通り、気質的に有利だったことも一因かも知れません。あるいは、世界的な様々な戦争による特需に上手く乗っかってきたのもあるかも知れません。そもそも、労働力が安いうちは、それを使役するだけで競争力が生まれる、というのもその通りでしょう。あるいは、日本人の集団の空気に載せられやすい気質もあるのかも知れません。

しかし、現在、物価は先進国として恥じない水準となり、それに伴い労働力の単価も高騰しました。そして、今まで蚊帳の外だった中国を始めとする新興国の労働力が国際的な市場に流れ込んできています。そんな中で、日本人は平均的に読み書きそろばんができて真面目で緻密で優れた労働力になるから、競争力を維持できるはずだ…なんて通じるわけがないでしょう。

現状の企業の競争力が無い理由はいくつも考えられます。企業に、本当の意味で優れた経営が出来る人材が居ないと言うこと、国の政策が不味いこと、企業の給与体系が不味いことなども一因でしょう。しかし、私は人材の質が低いのが、最大の問題だと思っています。

産業に高い付加価値が必要だと言われ続けて(私の知る限りで)20年、国家としての(本来最も投資効果が高いと言われている)科学技術への投資は遅々として進まず、一方では国立大学の独立行政法人化といった教育の質ではなく研究による収益を上げることを第一とするような政策が押し通ってきました。

一方、大学は大学で、教育機関として役割を果たしてきたとは到底言い難いと思っています。学生は入試という関門をくぐり抜けることだけが目的となり、入ってからの学習は、比較的厳しい工学部であっても、ハードルが低すぎて身につかず、また内容も時代遅れとなっているように思いました。あるいは、理系から見たひがみなだけかもしれませんが、文系の学生は、大学に入って卒業したと言う事実を形成することと、学生時代を4年間延長して遊ぶことしか目的としていないように見受けます。3年遊んで就職活動に励むなり、公務員試験なりのためにちょろっと勉強するなりが関の山じゃないですか?(まあ司法試験などの目標を持って打ち込み、脇目もふらずに勉強した、と言う人もごく稀にいらっしゃるのかも知れませんが)そもそも、大学の文系の学科って必要なんですか?文学部なんて入学したらその道の研究者になることを義務づけても良いんじゃないですか?それ以外の道で、そこで学んだことが役に立つなんて到底思えないんですけど?私が不見識なだけなんですかねぇ?文学的表現に満ちた報告書なりを書いて貰えるんでしょうかね?

良く言われることではありますが、日本の最高クラスの大学の卒業であっても、入学するためのハードルを越える頭の良さ、やれば出来る能力を保証はするものの、それは大学で高度な知識や技術を身につけてきたことの証にはなっていないのが実情でしょう。あるいは、東大ともなれば、うちの母校よりは大分マシなのかも知れませんが。遊ぶために大学に来た奴は卒業させる必要がない、そもそも、やれば出来ることを証明するだけなのでしたらどうぞ中退して就職して下さい、入学できた証明書は出しますから。これくらいのスタンスでないといけないと思うのですよ?

そして、そうやって、最高クラスの教育を受けて卒業してきた学生はきちんと厚遇する。大学も、学生がその期待に応えられるだけの教育を施す。高いハードルと、それを乗り越えることによる見返りがきちんとあるのだとすれば、付いて行ける能力があって付いていく気もある学生はちゃんと付いていきますよ?万人が同じ大学卒なんて肩書きで同じ初任給なんて方がおかしいと思いませんか?本当に優れている3分の1位の人間の教育のためだけにお金と環境を注ぎ込んであげるだけでいいと思いませんか?卒業したことに価値の見いだせないような大学の場合、大学卒と扱うこと自体を止めにしませんか?

自分自身が、上記に恥じないだけの努力と学習をしてきたなどとは間違っても言いません。しかし、大学の学習環境が、最高学府と言うに恥ずかしくないレベルの教育環境だったかというと、いささか疑問を禁じ得ない限りなのです。

*1:そして、ちょっと信心の足りない奴隷の集落があると、乗り込んでいってその集落を支配して根こそぎ搾取した上で立ち去る連中とかが居ると

*2:まあ、日本人は得てしてそういうものに流されますので