迷い猫オーバーラン7巻まで読み終わり

というわけで、現在刊行されている7巻までここ2週間ほどで読み終わりました。色々思うところは有るのですが、あまりまとまっていないので適当に思いつくままに。


作品中の空気が、とても心地よい感じですね。いえ、別に、主人公がモテモテなんだが、鈍感かつ優柔不断なために、ハーレム状態になっていることではなくてですね…。仲の良い仲間達の間での優しい空気、みたいなモノですかねぇ。そういう、多すぎず、少なすぎずな固定メンバーで集まってる時間が好きだった人間としては、郷愁を覚えるというか、なんか安心するというか、そういう印象が残りました。そういう所に惹かれて読み続けた、ってのも有ると思いました。
それから…凄く初心者向けというか、人をこちらの道に引きずり込むきっかけになりそうな…そういう本だなぁ、と思いました。特に、漫画化も始まりましたし、アニメ化も予定通り進んだとして、単なるマンガなりアニメ好きをオタクに、普通のオタクをディープなオタクに引きずり込もうとするような…そんな雰囲気が少々。それは、作品が進むにつれて増加する作品内キャラのオタ成分から見ても確定的に明らか。まあ、この辺に手を出す段階で既に十二分にオタクだろうという気もしなくもないですが…ジャンプSQだと、大概のコンビニで売られている程、メジャーな漫画誌ですし、案外敷居が低くなったりしないか?などと…(実質的に、元は月刊少年ジャンプなわけですし)。
まあでも、昨今は、特に若い世代でのオタク、オタク文化に対する認識ってどうなんでしょうねぇ、そもそも。私自身はダメなゲーヲタですし、今いる環境も世間一般における標本と考えるにはかなり偏った環境ですし*1、今の学生程度の若い世代のオタに対する認識やその比率といったモノに関する実感が有りませんのでなんともなのですが…。
まあ、それを差し引いた上で聞いて頂きたいのですがが、全体的に迷い猫オーバーランという作品中ではオタに対して肯定的な雰囲気がありすぎるのが微妙と感じました。いえ、作品中のダメなオタの例として菊池家康なるキャラが居て、酷い扱いをされているわけですが…それでもまだヌルいかなぁ、と思ってみたり。いえ、別に酷い扱いをされている描写が有れば良いというわけではなくて…結局の所、オタの道を歩む過程で、社会性を失うことというのが、どういうことを意味するのか、というか。つまりは、オタな趣味に傾倒するために時間(そしてお金)をその方向に費やし、それを阻害するモノを切り捨てていった結果の行き着く先、見たいなモノを有る程度正しく認識しないで踏み込むのは危険なんじゃないかなぁ、と思う訳なのですよ。私は切り捨てた側の人間ですし、こちら側にいることをそう後悔しているわけでもないのですが*2、客観的に見て自分がどれほど痛いか、キモいか、そして、そこから抜け出すことがいかに困難かということはそれなりに認識しているつもりです。なので、ちょっと、無責任な布教なんじゃないか?と感じる部分があるのですよ。


話が逸れていますね。文章に関して。やはりライトノベルですので、情景、心理共に、描写に関しては薄いと感じたりします。しかし、それで面白いんだから、まあ、それでいいじゃない、と思ってみたり。
いえ、入院中に久しぶりにラノベを読み始めたときに最初に感じたのが薄っぺらいという感想だったのです。で、(入院中暇だったこともあって)友人達にひとしきり表現力の無さに関する愚痴を言ってみた訳ですが…そこで色々考えまして…。例えば、そもそも、イマイチ合わないのは、やはり歳を食ったからで、対象としている年齢層の違いが問題なんじゃないかという話を友人としたこともありました。あるいは、私が学生だった頃、それなりに本が好きなうちの母が勝手に私の部屋のラノベを漁った上で、後で読むに値しない、こんな馬鹿なモノばっかり読んでるな、と突っ返してきたこととかも思い出したりしました(勝手に持ち出した上で、それは無いぜ、酷い言いぐさだ、と当時思いました)。
そこで、少々不安になったのですよ。かつてはそれなりの量のライトノベルを楽しく読んでいたわけで(まあ、当たり外れはあったわけですが)、それが、受け入れられなくなってきたのは歳なのかなぁ、と。そして、本というモノに知的さ、高尚さみたいなものを求め始めている自分がちょっと嫌にもなり…。かつて、ライトノベルに文学小説のような高尚さを求めて、勝手に低俗なモノというレッテルを貼っていった、我が母と同じような考えになってしまっているのではないかと。
一方で、入院中は持ち込んだものしか身の回りに無く、残念ながらその殆どが今ひとつ肌に合うものではなく、中々外に出ることも出来なかったため補充することも出来ず…という状況だったため、入院中のラノベ消化は遅々として進みませんでした。そうして、退院明けに色々買い漁りに走ったわけです。これは、もっと面白いラノベが読みたくなったというより、むしろ、ラノベが楽しめなくなってしまったのではないかという、ある種危機感からの行動だったのではないかと、今となっては思います。そして、書店で見かけた最近の人気しているらしいシリーズの中から本シリーズを読み始めて今に至るというわけです。
ライトノベルは各種描写を簡略化して、人の会話や物語の筋道に力点を置いたシンプルさがある。その価値は、文学小説と比較されるべきモノではなく、それはそれで十分に面白いものなんだと。そのことを思い出せただけで、迷い猫オーバーランを読み始めた意義があったと、そう思います。

*1:日本版ワークシェアリングで生まれた平日の休みにアキバに行くと高確率で同僚と会える位には

*2:完全に割り切れているかと言われると、yesとは答えられません、人間ですから