明日は学会発表です。というわけで、あまり余裕がなかったり。ただ、ニュース関連で気になるモノも多かったので、とりあえず紹介だけでも。

ノーベル賞と研究の環境

http://pc.nikkeibp.co.jp/article/column/20081009/1008670/

先日、書いた内容に関連するような内容で興味深かったです。私は、現在の大学での研究環境の問題点として、研究費用の絶対量が足りない、配分方法が不味い、といった内容で書いておりました。しかし、こちらの記事は、むしろ、研究の費用として補助的な人員の費用が削られた結果、事務員や技師といったサポートに回って下さる方々が減り、雑用に追われる研究者が増えているという内容について書かれています。

確かに、私も学生時代を通じて思い当たる節があります。まあ、私が居た研究室は比較的予算には恵まれていたというのも事実なのですが*1。それでも、学生の立場から見ると、先生が殆ど雑用に追われて研究室に顔を出さなかったり、学生を半ば雑用係兼データ収集要員みたいに捉えていたり、指導と言えば「適当に論文読んどいて」で、実験で上手くいかなくて方針相談しに要ったら「それは君が考えることだ」…それは無いぜ…。まあ、見限った理由はこれらだけに尽きませんが、行っている労働量に比例して、身につくモノが少なすぎる印象でしたねぇ。いえ、もっと真面目で労力を厭わない真面目な方はそれでも頑張ってらっしゃいましたが、効率良く、要領良く、少ない労力で最大限の効果を、と考える私みたいな不真面目系の人間には、ちとやってられませんでしたねぇ。

とまあ、いつもの如く愚痴になったところで閑話休題

まあ、言いたいのは、当時の私にとっては研究を続けるに当たって魅力的な環境とはとても思えなかったわけですが、その一因は先の記事にて述べられていたような予算不足に伴う人員不足が原因だったのかも知れないと思うわけです。

つまり、「大学の先生だって雑用くらい出来るんだから、自分のことは自分でやってくれれば無駄な人件費が浮くじゃないか」という馬鹿な意見のために、大学の先生でないと出来ない仕事が犠牲にされているということですね。そりゃあ、誰でも出来る事務仕事を大学の先生が、得手不得手は別としてもやって出来ないことはないでしょう。しかし、本来の研究や指導に当てるべき時間がそういった誰でも出来る仕事に割かれるのは、大学の先生のもつ知力、知識、経験といったリソースを全て無駄にしている訳ですよ。

極端な例を言えば、大学の先生を2人雇って、2人に半分の時間は雑用をして貰うのと、先生1人と事務員雇ってフルタイムで研究と雑用をそれぞれやって貰うのとですと、後者の方が人件費も安いでしょうし、効率もきっと良くなるのですよ?

さらに別な話をすると、我々の仕事に関してもそう言う部分は有ると思いますね。研究と一言で言っても、様々な仕事が有るわけで、雑用に類するお仕事も身の回りに沢山あるわけです。ところが、そういう雑用が多くて仕事がはかどらないときというのが有るわけです。本来、比較的高い時間単価を貰っている研究職の人間が、誰でもできる雑用に時間を割かれるというのは労働力的にマイナスなんですよね。しかし、日本人の気質なのかもしれませんが、能力とか職責とかに関わらず、自分で出来る雑用を他人に押しつけることを負い目に感じたりする結果、できることはやってしまおう、と考えてしまうんだと思います。その結果、雑用にも時間を取られた上で、自分でないと出来ない仕事をこなすために、強烈に残業しなくてはならなくなる人が出てくるんですよね…。特にこの傾向は出来る人、あるいは、その人でないと出来ないことが多い人(管理職とかも含みます)に見られます。

高い給与を貰っている分、多く働かざるを得ないんだ、と納得している人もいらっしゃるのかも知れませんが、それは間違いですよね。厳しい言い方をすれば、本来その高い給与は、自分しか出来ない仕事の価値に対する評価であって*2、その高い価値のある仕事以外の雑用に時間を浪費しているから余計に働かざるを得なくなっているだけだ、と言えるわけです。もちろん、本人が好んで雑用をしているとは思いませんし、周囲の無理解もあるのでしょう。あるいは、若い社員ほどそういう構造が中々見えておらず、雑用を回されることに不満を持っているので頼みづらいというのもあるかも知れません。しかし、それを放置していては何時まで経っても、研究環境は改善しないわけで。

適材適所と言う言葉は、私だけかも知れませんが、何とかとハサミは使いよう、みたいな、あまり使えないモノでも使い道を探して有効利用するべきだ、という意味で考えがちですが、むしろ、出来る人の専門性、特性を生かした仕事を割り振る以外に、それ以外の仕事を極力排除するべきだという意味で考えるべきなかも知れませんね。

とまあ、ようやくそういう職場での構造が少し見えてきて、雑用を引き受けたり振り分けたりすることに抵抗が減ってきた、たをる@三十路です。

金融パニックのNYから見た日本の滑稽なパニックぶり

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20081014/104443/?P=1

滑稽と言うほどに問題かどうかは分からないですが、まあ、認識としては納得できるモノなので。つまり、日本の経済に関しては欧米と比較して、金融に依存してなかったのでダメージは少な目で、産業も競争力を失ってはいないという主張ですね。まあ、その通りだとは思いますね。

で、現在の市場は外的要因に過敏に反応しすぎだ、もっと落ち着けと。その通りだなぁ、と思う反面、流石に仕方ないだろう、という反発と、そんなに心配しなくても大丈夫じゃない?という思いも覚える次第です。

流石に仕方ないだろう、というのは、日本の株式市場にも相当量の海外からの資本が入ってきているわけで、その辺が引き上げざるを得なかったとしたら、そりゃあ、下落するだろうと。一方で、一度有る程度下がったら、割安感から、国内の資本が逆に動くんじゃないかと思うんですよね。いや、私でさえ日経平均7000円なら買うだろうな、と思うですよ?まあ、今日でかなり反発して…あーうー、な感じでしたが。

心配しなくても大丈夫だと思う理由としては、国内の反応じゃないですかね。つまり、私もそうですが、一般的には対岸の火事、と感じてるんじゃーないかと…。むしろ筆者はNYにいらっしゃって、日本人のおかしいくらいに落ち着いた反応を目の当たりにされていないから心配になるんじゃないかなぁ、と。

落ち着き払ってる理由としては、

  • 今年に入ってからの物価高の生活に対する影響がそれほど大きくなかった
  • 別にトヨタを始めとする国内を牽引する立場にある企業が倒産したわけでもなく、そこら中に失業者が溢れかえってるわけでもない
  • 一般的にお金を預けている国内の金融機関のダメージも限定的?(地方の金融機関は厳しいと言う話もあるが大手行は余裕綽々)
  • 国内で倒産している建築関連会社は言ってみれば自転車操業のテンバイヤーが中心、実態としての生産性の極めて低い商売なわけで自業自得感がある
  • むしろ住宅価格が適性になってきていることに対して消費者側からは好感が持たれている?

といったところでしょうか?もちろん、不況で有ることは感じていますし、各種不満は溜まっていますが、不安はあんまり無いんですよね…。せいぜい、朝食のめざしが1匹減ったとか、夜の晩酌のビールが1本減ったとかじゃないかと…。

で、不安が連鎖しない限りは、低調であってもお金は回りますし、国内に限れば消費もそう落ち込むことは無いんじゃないかと、素人ながらに思うわけです。

そのほか

扱おうかと思って結局スルーした内容で覚えているモノを少し。

日経新聞の一面の連載で、官僚における技官の問題点に関するお話。拝見した記事は、厚生労働省の医療に関する技官のお話ですが、つい先日のノーベル賞に関連して理系の専門職国家公務員の待遇を改善すべきだというお話を書いた直後でしたので、自分的にはかなりタイムリーでした。なんで物事の判断も出来ない奴がトップに座って居るんだ?というニュアンスの内容が印象的。特に上級の国家公務員における待遇の差や両者の間の溝といったものが読み取れる内容で、興味深かったです。

アイスランドの話題。先日から言われております、国としての債務不履行の危機ですね。私自身の持っていたアイスランドに関する知識としては、アルミニウム工場と環境破壊に関する記事、地熱を生かした発電に関する記事を今年に入ってから拝見したほか、大きな産業がないにも関わらず異様に高い国民1人あたりのGDPを誇っていたことくらいでしょうか。GDPに関しては先日のフィンランド出張の際にフィンランドに関して調べていた際に副次的に得られた情報です。結局、それも金融よるものだったわけで、さらに産業が大してないものだから、国家規模での破綻に直面していると…。ロシアが融資しようとしていることに関しては、各種論評も有るようですが、個人的には合衆国の弱体化に対する心配と比較すれば小事だと思い、あまり興味なし、スルーしました。

以上。まとまりも無ければ推敲もしてませんが…。

*1:技師さんだけで数名常駐して下さっていて、実験を行ったり、実験の器具を移動させたりするためのグレーンの操作をお願いしたりしてましたし…

*2:まあ、世の中これが必ずしも正しくないことがあり、さらにその傾向は日本の企業ほど多いみたいですが…