日雇い派遣に関するお話

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/145/

本記事に関しては、日雇い及び派遣業に関する制度の経緯について触れられている点が興味深かったです。「搾取される心配のない職種、例えば、通訳やシステム開発など、高い技術を持った人については派遣を認めてもいいのではないか」という部分ですね。私自身は2つの点でこの時点(1986年当時)で不味かったのではないかと思っています。

技術があれば搾取を防げるか?

記事の筆者である森永氏は、ご自身が携わられたこともあって、派遣の解禁は業種が限定されていたならばそれほどの問題にはならなかったという立場を取られています(あるいは取らざるを得ないだけかも知れません)が、個人的には根底から認識が甘かったんじゃないかなぁ、と思います。というのは、高い技術力を持っていても、よほど交渉力や情報収集力が無い限り、例えば通訳バカ(ってのはまあ少ないでしょうが)、技術バカとして体よく搾取される対象であるのは変わらないと思うのです。これが1点目。

搾取されていると思うなら、その組織から離れれば良いじゃない、と言う考えもあるかもしれません。しかし、業界において寡占的な立場が築かれると、個人で対抗することが極めて困難になることを忘れてはいけません。

これに類すると考えられるシステムを私も体験したことがあります。以前、問題になったこともありますし、私自身も話題としたことがあるかも知れませんが家庭教師派遣業です。〜大学の大学生という肩書きを持つ学生を大量に集め、顧客からは高い授業料を取り、授業内容は大学生本人任せ、フォローは授業回数が少ないことに対する苦言のみ。あとは、家庭教師と生徒の間で個人的な契約を結ぶことを禁止する契約を強要し、その監視だけに目を光らせる。テレビとかを中心とした広告媒体で世間の高い認知力を持ちますが、家庭教師の指導内容の管理監督もできない以上、実態は単なるピンハネ業ですね。

ブランドイメージを保持していること自体に意味があるから、多数の家庭教師が居て問題が有れば交代して貰えるから、個人とは違う信用があるから、という言は分かりますが、それらを有しているから好きなだけ上前をはねられる、というのは健全とは言い難いでしょう。

件の例はあくまでアルバイトに関するお話では有りますが、元々はピンハネによる搾取の問題があるというのが派遣が制限されていた理由ですよね?

技術の判定、業務の判定、基準は?

1986年当時に有識者の方々が、システム開発に従事する人には高い技術があり、またそれに応じただけの待遇が保証されているという認識を持っていたことも興味深いですね。しかし、システム開発とひとくくりで言っても、就職難で派遣会社に就職した新卒大学生をとりあえずデスマーチの現場に送ってみました、でも現状システム開発扱いになるんじゃないですかね?あるいは、通訳と言っても、ホテルの客の荷物運びを中心とした業務でも外国人のお客様と話す可能性が有れば、通訳だと言い張って肉体労働をして貰うことは可能なのではないでしょうか?これは、あえて極端な例を挙げているだけで実際には流石に該当しないのかも知れませんが(通訳の資格を有するには英検1級合格とか色々条件が有った気がしますので)。言いたいのは、高い技術の判断基準ってなんですか?ということです。

テストや資格で判定してるんですか?判定は誰がするんですか?判定できるだけの人材を常時確保できるんですか?単なる利権の温床になるだけじゃないですか?有用な技術って時代と共に変わりますよね?資格の有効期限とか必要じゃないですか?つまり判断基準が無いと不正の温床になるが、通訳はともかく業種によってはその判断基準が難しい。これが2点目。

これらの点で、現実に対する認識の甘い制度を作ったことが根本的に問題だと思うのです。

派遣解禁は企業のため

もう一点、付け加えておきますと本記事では、(そのニュアンスを意図的に消そうと書いたようにも思えるのですが)派遣という制度を解禁したのは企業のコスト削減が目的であると明記されています。

3ページ目中程。

国際会議があったときには通訳が必要になるが、企業が通訳を正社員として雇用しておくのは大変なコストがかかってしまう。そこで、そうした高い技術を持ち、いわば腕一本で生きていける人に限定して派遣を認めましょうというのが、労働者派遣法のおおもとの考え方だった。

一方で、高い技術力を持つ人は腕一本で生きていけるから、と持ち上げていますが、これらの技術力を持った人間の価値が、派遣という立場で下がるのは自明です。

数字は適当ですが、例えば全国に1000人の通訳さんが居たとしましょう。この人達はみんな会社の正社員でした。そこで派遣が可能となりました。会社の半数は常時通訳さんを雇用せず必要なときに応じて派遣の通訳さんを利用することにしました。これにより500人の正社員の通訳さんと、500人のフリーの通訳さんが生まれますね。フリーになった500人の通訳さんは派遣会社に就職し派遣の通訳さんとなり、派遣の通訳さんを希望する会社からのお仕事を受けることになりますが、実際には400人分のお仕事とお給料しか有りませんでした。この場合、全体として余分に支払っていた100人分の通訳さんのお給料を削ることが当初の目的なのですから当然ですね。それでも、通訳さん達は自分たちが仕事をする期間の分だけの給料を貰うのですし、正社員として常時拘束されている通訳さんと違って、ある会社からのお仕事が無い期間は別の会社からお仕事を貰えば良い訳ですね。めでたしめでたし…となるわけが無いのは明らかでしょう。

  • お仕事とお給料は400人分しか無い
  • 会社からのお給料のうち派遣会社が持っていく部分がある

となると、流れは、同程度の収入を維持するために要求する報酬を少し下げてでもお仕事を得ようとする。それによって、通訳さんの単価が安くなり、通訳さんを止める人が出て、業界全体の仕事量と給与のバランスが取れるまで条件が悪化しますね。また、派遣の通訳さんの単価が下がれば、正社員の通訳さんとの格差が拡大するほか、コスト削減のために正社員の通訳さんを解雇する企業が増えますね。

あくまで、元の文章にありました通訳という例を挙げましたが、いかに高い技術を持っていようと、立場が悪くなるのは当たり前なのは分かると思います。企業のコスト削減が目的なのですから。それが悪いとは言いません。もちろん、該当する職種に就かれていた方には災難だっただろうとは思います。しかし、余剰労働力を整理し、企業の競争力を高めるために必要だったのだ、と言われればそれはそれで正しい。

何が言いたいかというと、本記事では、そもそもの派遣解禁は企業のための施策であり、それによって該当する労働者の立場が弱くなることは自明で有ったはずなのに、その点はぼかして、現状を招いたのはその後の規制緩和が全ての元凶だと言わんばかりの論調を取っていることが不満だ、と。

極端な書き方をすると、企業の経費削減のため、一部の技術者(と面倒くさいので呼んでしまう)には泣いてもらうことにしたんだけど、馬鹿が味を占めて後から後から、対象を広げたもんだから、不満を持つ人が増えすぎて社会問題になってしまったよ、が実態でしょう?と言っているのです。

そういった、企業向けの施策を採用した結果迎えた現状についてごまかした上で、派遣禁止、全員正社員と同じ待遇にしろと訴えかけたところで、説得力が有るとは到底言い難くないですか?

現状に対する意見

さて、過去の失策(と信じている)を論じるのはこれくらいにしまして…。現状に関する意見も一応述べておきますか。流石に、それに関して何も触れないでおくというのは無関心、無責任と言われても仕方有りませんので。とはいえ、私自身はこの問題に関しては中立寄りです。ここで言っています、中立というのは、中庸の解決手段を選択するべきだという主張ではなく、残念ながら私には判断を下せません、と言う理由で参戦を拒否してしまっている中立ですが。

長期的な視点で見た場合、派遣という立場が搾取の温床となりやすく、規制を強化した方が良いと思っています。これは自身が正社員である一方で、新人の研修時代に多くの派遣で来られている方々の待遇を見てきたから、という側面はあると思っています。コレに関しては、派遣社員の方からすれば大きなお世話、かも知れません。

また、私は技術者寄りですので、技術者の立場が安定することを嫌う理由はありません。技術者全体の地位の向上はひいては自分にも返ってくることだということは忘れてはいけませんので。

一方で、全員を正社員待遇にするなんてことが、企業の抱えるコストという意味で、実現不可能、または極めて困難と思われるのはあります(本記事がその点について論じていないことも強く欺瞞だと感じるのですが)。極論を言えば対処方法はあります。正社員の給与を派遣社員と同等に下げられればいいのです。ただ、それが可能ですか?という問題は残りますね。

加えて、本記事にも書かれている派遣によって生活されている方々の生活が破壊される点。また、アルバイト以上、正社員未満という位置づけを好んで仕事されている方が存在する点。こういった方々が居る限り、安直に派遣は廃止すべきとは言えません。

以上から考えるに、最終的な理想としては派遣という方式は廃止した上で、良く言われる労働力の流動性を高め、企業も個人も柔軟な雇用形態を実現できるようにすることだと思います。ただ、そのためには、健全な雇用市場の形成だとか、企業自身の中途採用能力だとか、必要なものがいっぱいあるし、それが日本の社会風土に必ずしも合うとも限らない…。

ですので、私には今どういう施策を取るのが正解かということを判断するのはできません、と思っています。もちろん、問題から目を背けてはいけませんし、考えることを放棄したいとも思っているわけではありませんが。