知らないモノを理解する難しさ

ニュースというカテゴリでくくるのもどうかと思ってはいるのですが、きっかけはある記事なので、まずはそちらの紹介から。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20080806/167325/

こちらの記事を読んでいると、色々な思いが浮かんでくるのですが、どれもが本質的でない気がするのです。

三つ子の魂

表面的な話をすると「パソコンの理解は有る程度若いうちから慣れ親しんでいないと中々難しいですよね」と安易に言うことはできると思うのです。子供の頃(あるいはもう少し年齢を引き上げて若い頃)から当たり前のようにあって触ってきた人間とそうでないの人間では、そのものに対する適応力が違うとか。ここで言う子供の頃の定義は、対象が何かにも依るでしょうから一概に言えませんが。語学の例ですと、音を聞く耳が形成されるのはかなり幼い年齢であると言われていますが、一方で思考に関する部分はもう少し高い年齢にならないと定着しないとも*1。そして、この記事の場合に対しては、団塊の世代の主婦であろうがキャリアウーマンであろうが、子供の頃から当たり前のようにあって触ってきた人間ではないことには何ら変わりないですよね、と言ってしまうことはできます。

あるいは、パソコンというのは単に同じアプリケーションを使って、同じ操作を繰り返すだけでは何も上達なんてしていない、とも言えます。その操作を行うための手順に通じることはあっても、1の操作をしていて10の操作の内容が何時の間にか理解できるようになっているようなものではないですよね、と。そう言う意味では、パソコン歴なんて数字に意味なんて無いですよ、と切って捨てることもできます。

パソコンの熟練者って何さ?

一方で、PCと言うモノについては、そう言う話じゃない、という思いもあります。私自身の話をすると、Windows95の流行が丁度大学入学前で、初めてのPCを手に入れたのは入学と同時でした。これからはパソコンくらいは必要だという父が、当時にしてやや型落ちでしたが、わざわざ広告を出している量販店に朝から並んで購入してきてくれたのです。PCとはそれ以来の付き合いですのでかれこれ11年ほどでしょうか。実際、大学のレポートにしても、PCなどで書くことが必須になっていましたし、大学で学んだ内容も計算機とは切っては切れない仲にありましたので、それなりに理解は進んだと思っています。もちろん、その過程において辛酸も多く味わって参りましたが。

さて、それなりに理解は進んだ、と書きましたが、何を理解したのか。それは、自分が何を知っていて、何を知らなくて、知らないことを知るにはどうすればいいのか、ということです。

例えば、私が知っているPCに関する知識の分野は次のようにまとめられると思います。

  1. 大元にある論理学とか計算機の原理とか
  2. PCを構成するハードウェアがそれぞれもつ大まかな役割
  3. Windowsというある特定のOSのインタフェースの原理原則
  4. Windowsというある特定のOSの中で特定の設定を実行するための手順
  5. Windows上で動作するアプリケーションにおいて多くの場合で守られているインタフェースの典型的なルール
  6. いくつかの特定のアプリケーション固有の操作方法

まあ、面倒くさいのでWindowsに限定したような書き方ですが。ここで言いたいのは、パソコンの操作方法なんてのは、3のWindowsの操作方法の特徴をどの程度理解しているか、と言う程度のことでしかないと思っているということです。

所詮私が知っているパソコンの操作方法なんてのは単一のOSに関するローカルルールみたいなモノであり、また、そのOSには膨大な設定があって、それらの全てを知っているわけでもなければ、むしろそれを全て知ることに意味なんて無いと思っていると。だから、パソコンのことなら何でも知ってるよ、なんておこがましいことはとても言えなければ、パソコンを直してあげる、なんてこともとても約束なんてできず。せいぜい、何でも聞いて良いよ(答えられるとは限らないけど)、とか、見てあげるよ(見るだけで終わるかも知れないけど)、とかが関の山でしょう。

それでも、PCを復旧不能な状態にすることは少ない(あるいはそのリスクを背負うときは覚悟をしてやる)のは、そのような事態に陥りそうなリスクのある行動かどうかを理解しているからであり、ひいては、知らないことであっても、そのやりたいことの内容の危険度が経験で分かるとか、判断がつかないならば調べるとかするからだと思うのです。それは、何故かというと、結局、それだけ危ないことを含めて、色々とやってみた結果(であり、泣きを見てきた結果)なわけです。

こう書くと、結局、先の子供の頃から触ってきたかどうかと言う話と同じ結論のように聞こえてしまうのですが、言いたいことはそうではないのです。パソコンの操作方法を知りたいという方にこそ言いたいのですが、一見、端からはパソコンの熟練者と見える人でも、ありとあらゆる操作を反復して繰り返したことによって精通しているような変態達人は居ないということです。もちろん、知っている操作が多いに越したことはないのですが、詳細な設定方法を知らないことでも多少の試行錯誤で辿り着ける、その嗅覚みたいなものが大事なのだと。

スクール(笑)

言い方は悪いですが、顔文字で言うと

ぷっ ( ´,_ゝ`)

って奴ですかねぇ。

専門学校のITエンジニア育成コースだろうがカルチャーセンターだろうが大差ないでしょうが、特にカルチャーセンターとかは…。

実際に行ってみたことはなく、むしろ前者(に近いモノ)の講師をした程度の経験しか有りませんが、意味があるとは到底思えないというのが本音ですかね。先の話に通じますが、個別の操作を頭ごなしに覚えることに意味は殆ど無く、むしろ操作を積み重ねるうちに、ルールが漫然と理解できてくる、という形でないと殆ど意味がないと思うからです。で、そのためには、お金と時間を払って、自分のしたい操作に関係のないものを大量に含んでいてすぐに忘れてしまうような操作を強要されるよりは、自分が本当にやってみたいことをネットのページでもにらめっこしながら試行錯誤している方がずっとマシかと。

あるアプリを使った基礎的な操作を教える講座を受け持った際には、とにかく課題を提示して大まかに説明して後は頑張れと丸投げしてましたね。あえて、自分で操作している手順は見せない。まあ、教えてる対象が若いから、それでも大体みんなこなしてましたよ。ちなみに、彼らに言っていたのは「こんな個別の操作を逐一覚えることになんて意味無いからな、自力で辿り着けるようになってくれ」と。まあ、無責任な不良講師でしたが。

まあ、ついでに、一応昔働いていたよしみで少し持ち上げておくと、ITジニア育成コースなんかがある専門学校だと有る程度本質に近い部分の内容も勉強できると思われる点ではマシだと思いますがね。OSやアプリのインタフェースに対する習熟の話ばかりをしてきましたが、PCの基本構成やパーツの意味を知ると理解が深まるのも事実ですから。あと、ITエンジニア育成コースで本当にITエンジニアになれるなんて思ったら間違いですから…。ITエンジニアなんて現場に叩き落とされたら強制的にクラスチェンジですよ…。

無意味さと言う意味ではPCのアプリのハウツー本も同様ですね。プログラミング言語のように、有る程度体系立てて理解していないとままならないとか、膨大なレファランスが必要とかならともかく。行いたい操作を本で検索して、その通りに操作してみるくらいなら、実際にアプリで試行錯誤して、目的とは違う操作なんかにも触れてみることで、こんなこともできるんだと感心してみる方がよっぽど価値があるんじゃないかと。もちろん、どうしても分からない特定の操作を調べるために立ち読みする、とかだと意味は有りますけどね、昨今ではそれもネットで済みますからねぇ。

一度まとめ

…なんか、意図せずこき下ろす内容になってしまいましたが…。いや、遙洋子さんのこちらのコラム、自分とは異なる視点で感心することが多くて、普段は楽しみに読んでるんですよ?よ?ただ、まあ、今回の話はこういう感想だったもので…。

思うに、お仕事で使い始めて10年にも及ぶというのは、まず、仕事での利用ありきの関係で、ずっと特定の範囲の業務のためにパソコンと付き合ってこられたということなんだろうな、と。パソコンというのは使えば使うほど無くなって貰っては困るデータが増えていくものですし、使っているほどに冒険ができなくなったりする側面が有ると思います。逆に言えば、空っぽのパソコンを貰って好きに遊んで良いと言われれば、有る程度無茶もできるんですよね。そう言う意味でも子供のうちからPCに慣れること、仕事道具としてではなく、遊び道具として始めることが大事なんじゃないかと思ってみたり。

自分の身に転じてみて

パソコンの例で言うと、幸いなのかは分かりませんが、私が初めて手にしたのが10代の頃なわけで、まだ、ギリギリ適応力のあった頃だと思うのです。一方で、今や自分の年齢が30という一つ大台に乗って、(自称ヲタクも続けておりますが)サラリーマンとして働く今、既に、新しい文化や流行といったものについて行ける世代では無くなっていると思うのです。

残念ながら、実感はできていません。むしろ、テレビも見ない今、そういった、新しい文化や流行に接する機会さえも失われていることが原因だと思います。一方で、そういった、適応力が失われていることは間違いないと思うのです。

時代錯誤な感覚だと笑われるかも知れませんが、仕事に時間の大半を裂く中年男性以上の世代というのは、国の経済を背負っているという自負が有り、自分たちこそが社会の中心だと思っているのですが、一方で文化からは最も疎遠な最もダサい存在であると思うのです。私の職場の身の回りに女性の方が殆どいらっしゃられないので女性に関しては良くは分からないのですが。(旧態依然とした職場だとか言われるかも知れませんが、むしろ職業柄、オープンにしようと努力してもそもそも求人に女性の方の応募が全くないというレベルなんですけどね。職業的な好みの問題で人気がない職種にまで男女の機会均等とか謡うのは欺瞞だと思うのですがねぇ、均等どころか女性なら誰でもいいから来てくれ、取らないと叩かれる、とか言っているレベルなんですけど…それはまた別の話)

以前、私が理解できないと思った新しい文化は、スラドにて話題になっていた若年層の内輪向け掲示板だかSNSの利用スタイル?みたいな内容でした(…がソースが見つからない)。

逆に、そういう無理解な例の方で言うと、帰りの電車で試雇期間の社員が漫画週刊誌(?)を読んでいるのを、恥ずかしいとして試雇期間が切れて採用せずに解雇したことを、誇らしげに書いている日記とか。まあ、2ch巡回中にリンク先で見ただけなのでこちらもソースがなく、あるいは釣りなのかも知れないですけどね。裸体が出てくるような漫画が載っているからとか書いていた気もしますが、じゃあ、昔から有る週刊誌やスポーツ新聞でもそういうのが載っているモノ、結構有ると思うんですけどねぇ。

ネット、特にこの場合2chとかですかね。それらに対する無理解というか敵愾心も良く聞く話ですね。身内の実例というか、私にしてみれば恥を挙げるのもなんですが、父と大喧嘩したことがあります。1〜2年前だと思いますが。父曰く

「ネットでの匿名での批判は最悪だ。主張が正統だと思うなら面と向かって言えばいい、それを陰からコソコソと」と。仕事関係かな?と思いつつ、以下、

「職場での立場などの問題でどうしても表立って言えない場合だって有るだろうししょうがないと思うけど?」
「正統な主張なら面と向かって言えるはずだ」
「理屈はそうだけどそれは(父が)立場が上だからそう言えるだけでしょう、中小だと内部告発とかもできると限らないし。そもそも匿名なんだから、単なるどこかの誰かのグチでしょうが」
「そんな個人のグチをインターネットという公共の場に晒すべきじゃない」
「そういうシステムの場が存在してるんだししょうがないでしょう、見るも見ないも個人の勝手なんだから、見なけりゃいいじゃん。それにグチを言うにしても他人との繋がりが希薄になってる今、相手の確保が難しかったりで、今のネットってのは発散場所としても機能してると思うし、ガス抜きとして必要なんだと思うよ?」
「だけど、一方的に批判的な内容だけは人の目に残るのはアンフェアだ」
「そもそも情報の信頼性を含めて判断するのは読む側の責任でしょう、情報を取捨選択できない人間が使うべきもんじゃないし」
「そういう誹謗中傷は書けないよう規制すべきだ」
「ようやく、マスメディアとかじゃない、一般の、弱い側の人間が手に入れた情報発信の場でしょうが。それを規制とか。言論の自由を封じ込めて中国みたいな検閲社会にしたいわけ?」
とまあ、この辺で既にこっちもぶち切れかけていたのですが、父も「中国みたい」あたりに反応したらしく、そのまま議論の進展のないまま単なる口論に。結局、本質的にお互いに頑固なので、その後一切口を利かず。まあ、流石に次に帰省したときには私の方が忘れていましたが。

まあ、一応まとめておくと、別に自分が全て正しいという気もありませんが、既に存在しているなんらかのモノがあって、例えば2chにしても一つの形でしか無くて、その元になっているのは情報化社会(なんて言葉を使うと陳腐に聞こえますが)みたいな流れであって、そういうものを無くそう、潰そうという方向性は多分通用しない。それなら、肯定的にとまで言わないまでも、そういうものだと割り切って付き合っていくしかないじゃん、と思うんですよ。

とまあ、話が逸れている気もしますが。一般に、新しい文化はいずれ受け入れられる、それは、受け入れられない老人ほど先に死ぬからという至極残酷な理由からですが…*2。自分自身が、もっと意識的に新しいモノを取り入れる…とまで行かなくても、頭ごなしに否定してかかることの無いよう気をつけたいのです。それはきっと私自身にとって不幸なことでしかないと思うから。そして、人間、知らないモノに対して程、否定的になりやすいだけに、より多くの情報を収集することが大事なのではないかと思っています。

*1:ソースは示せないですが公文式の先生をしている母からの伝聞です

*2:もちろん、途中で消えていくモノも沢山あって…まあそれらは所詮その程度の流行モノですが