オフィス街化の進む最近のアキバ

先週の金曜日、平日の休みだったので人の少なそうなアキバに出掛けた際に気になったお話。その際に書こうかという気もあったのですが、その日の収穫がゼロ*1だったこともあって後回しにしておりました。ところが、本日再び秋葉原に出張した際に同行者とその話になり、また一方で、丁度スラッシュドットでも話題になっておりましたので、やはり書いておくことに。
何の話かというと、秋葉原の中央通り沿いに、所謂スーツ量販店が出店されていたのですよ。場所は丁度ダイビルの裏手辺り、閉店が進むアソビットゲームシティの真横です。区画の3分の1程をぶち抜く感じで存在している様は、異様の一言でした。確かに、ビル関連が増殖し、ついには中央通りに住友のアレが立った今、そういったオフィス用途のお店が増えるのも仕方ない側面もあるのかも知れませんが…そこはかとない違和感、侵略に対する憤りと共に、もう戻れない危機感を強く感じました。
断っておきますと、私自身が秋葉原を良く訪れるようになったのは所詮就職してからですので、ここ数年。初めて訪れたのにしても大学時代ですので、せいぜい10年と少し前しか知りません。私は基本的に電気畑、通信畑の人間でパソコンパーツ屋巡りなども好きで、現在もそれなりに時間を割いているつもりです。また、他の記事でも書いておりますように、ゲーム全般が好きでエロゲもかなり嫌いじゃない、アニメも最近は見れませんが嫌いではないです(一方で、風俗街化する様は、少々受け入れがたいものはありましたが)。なので、私自身にとっては受け入れられる程度の変容しか経験してこなかったという側面もあるのだとは思います(そのため、もっと秋葉原歴の長い方々とは意見が異なるかとは思います)。
しかし、今回の件はどちらかというと、そういう従来の変容とは一線を画すものであるように感じました。言うならば、従来が支配的なサブカルチャーのジャンルの変容であったのに対して、今回は圧倒的な外部からの資本によるサブカルチャーの街の蹂躙でしょう。今までは、秋葉原のもつ猥雑な商店の分布や集まる人間の雰囲気がビジネス用途の土地としての有用性を削ぎ、異分子の侵入を拒み続けてきた力が失われてきたということなのでしょう。
この理由に関しては思うところがいくつかあります。直接的な原因の一つとして、都の再開発。秋葉原を世界に誇るべきなんちゃら、みたいに言って、放って置いてくれればいいのに、誤った価値観を押しつけた結果が秋葉原という街を助長する*2ことになったというのは、触れずにおくことは出来ない要素であると考えております。
一方で、秋葉原という街自身が徐々にその前述の異分子の侵入を拒み続ける力を失ってきていたというのも有るのだと思います。例えば、それは秋葉原の中央通りを歩く客層が変化してきたことなどに見られると思います。もちろん、未だに所謂ヲタ層などは比較的多く見受けられますが、中央通りの場合、それ以上に一般人の割合が増え続けてきた印象が強いです。その過程には、一般人にも馴染みのあるような駅前型大型家電量販店の進出だとか、アニメや漫画を通じたライトなオタ層の増加だとか、パチンコ店や風俗店といった一般人大人も楽しめる娯楽の増加だとか、そもそもオタ的な文化が対局の位置に居て育てる術さえ持たない政治家にさえ目を付けられてしまうほどに成長(?)してしまったこと(他の産業の凋落がそれ以上に激しかった&中身の空洞化が見えていないだけとしか思えないのですが…)だとか、原因を挙げればキリはないでしょうが…。
何が言いたいのかと言うとつまりは、失政*3の側面もあるとは思うのですが、一方で仕方がなかったのだと思う側面もあるのです。この仕方なかったというのは、回避の仕様がなかったという意味ではないが、しかし、一方で自然な選択の延長線上にあった結果であるとも言えるのではないか、という意味です。これは、皆の長期的な選択の結果で、その結果が必ずしも望まない結末(少なくとも私にはそうである)に向かっていたとしても、秋葉原に様々な形で携わってきた人間全てに責任があるモノとして受け入れるしかないのではないかと思うのです。


とまあ、そう理屈では思っていても、受け入れ難い感情を覚えるのが人間のままならない部分なわけで…。ビルの建設や土地の買収新店舗の出店といった、大きな資本を動かす金銭的、社会的地位を有する者に、ヲタ的な文化を解さない老人の姿を重ね合わせてしまうのは偏見なのでしょうか?

*1:強いて言えば、メッセサンオーの同人ソフト館が移動していたのを見てきた。移動先は以前中古エロゲ購入などでお世話になったトレーダーの店舗の一つだった気がするのですが、記憶違いかしら?

*2:こういう正しい使い方が出来ることは少ないので積極的に使ってみた

*3:厳密には判断できませんが。計画した人間の真意が、秋葉原という地理的には優れた土地の穢れを取り除くことが当初の目的だったとしたならば、現在もその目的に向かって大いに邁進しているように見受けられるので