タバコに関して

私がタバコを止めてようやく丁度1年が経過しました。元々、二度と吸うつもりもありませんでしたが、ようやく、元喫煙者として話をしてもいいかな?と思い今回の内容を書くに至りました。

タバコ及び喫煙者に対する私のスタンス

私自身は21の頃からですから約8年間、1日平均で2箱、40本ほどのタバコを吸っていた自他共に認める元ヘビースモーカーです。そういう意味では、かなりタバコに関しては思うところもあり、一方でタバコを吸ったこともないような奴のいい加減な言動とはます。

タバコは止めたいと思わない限り、なかなか止められるものではありません。私の場合、大勢の前で大見得切った手前、意地でも止めてやるという思いがあったのは事実ですが、それでも、やはり喫煙していることをマイナスだと捉えていたのも事実でしょう。今でも、喫煙を肯定的に捉えてはいません。

しかしながら、喫煙者に関してはかつての自分がそうであったことから、非喫煙者より理解はある、あるいは寛容であると思います。それは、元々のタバコ仲間だった友人達が居ることや、自分自身の過去を全否定したくはないという想いから来るものもあるかも知れません。しかし、それ以上に、喫煙者は一番の被害者だと思っているから、というのが偽らざる気持ちだと思うからです。

受動喫煙に関して

受動喫煙や喫煙後の臭いの問題は非喫煙者にとって、喫煙者を迷惑に考える理由でしょう。しかしながら、非喫煙者が喫煙者に対して、攻撃的なのは自分にとって迷惑だからという被害者意識が根底にあり、迷惑だから相手が悪いと決めつける感情に根ざす批判にしかなっていないことが気になります。

このようなことを書くと過激派の非喫煙者の方は、自分たちは何ら喫煙者を害していない、一方的に被害を受けているのは我々だ、と主張されるかも知れませんが、私から言わせて頂ければ、その無理解と今や大勢を占めることによる社会的な弾圧は十分に加害者で有ると思っています。そもそも、ルールを決めるに当たって大勢を占める非喫煙者の声のみが反映され、本来の当事者である喫煙者や、その問題点を知る経験者(元喫煙者)の声の重みが少なすぎると思っています。

だからといって、周囲に迷惑な喫煙が許されるとは思っていませんが。分煙は進められるべきだと思っております。しかし、分煙とはどのようなことを言うのでしょうか。今や都内だけの話では無いのかも知れませんが、街中で自由に喫煙できない場所は多くなりました。路上喫煙に関しましては、代表的な迷惑な喫煙スタイルの例ですので、歩きタバコは原則禁止という法律の設定などがいずれ適当であると考えています。しかし、現状でそれが可能とは思っておりません。それは、喫煙が原則できないのであれば、できる場所をきちんとした形で整備する必要があると思っているからです。

今でも、主に歩きタバコが条例で禁止されている場所では、決められた喫煙スペースが設けられている場合が散見されます。しかしながら、その設備と数が不十分です。設備に関しましては、道ばたのちょっとしたスペースにゴミ箱サイズの灰皿が置いてあるだけという例を見受けることが多いですが、これは受動喫煙の防止になんら役に立っていないと思っています。確かに、地理的にある程度の隔離はできていますが、大抵はすぐ脇が歩道であったりするケースが殆どで、やはり煙や臭いは流れています。きちんとした分煙には、ガラス張りで隔離されており、きちんとした冷暖房、吸煙設備のある(少なくとも喫煙者がそこで喫煙することを苦に思わない程度に)快適な喫煙空間が必要でしょう。また、数に関しても不十分と思います。その程度の設備を駅などの主要交通機関の設備や大型の建物、公園などに建てることを義務づける位のことをしない限り、きちんとした分煙は不可能です。

例えば、公園のゴミ箱を撤去することにより公園内のゴミの量が劇的に減ったと言う例を耳にします。しかし、喫煙に関して、それに倣って喫煙スペースを減らせば解決するかと言いますと、それはあり得ません。それは、重度の喫煙者の喫煙に対するの欲求は、トイレに行きたいと思う排泄の要求にも近い、生理的な欲求だからです。鉄道会社が完全禁煙等としている例がありますが、喫煙者からしてみれば、うちはトイレなんてありませんよ、用は余所でたして下さい、と言われているようなものです。出かけた先の街中に全くトイレがなければ、男性の場合だと不法に人目に付きづらい場所で用をたすのではないでしょうか?喫煙者にしても同様で適切な設備がないのだから仕方がないから歩きタバコをするということになりかねません。人にもよりますが、特に重度の依存症となるとそれくらい激しい欲求であることを理解しておいて頂きたいのです。

タバコは悪か?

悪です。極めて質が悪いです。依存の程度に関しては、麻薬などにヒケをとらないという話も良く聞きますし。

健康被害に関する統計は不十分で、それが議論の種になることも多く、有益な面を見いだそうとする喫煙者の方も多いと思います。しかし、医師の友人より、重度の喫煙者を解剖した際に肺に溜まったヤニは凄まじいとか、(1日の本数)×(吸った年数)の累積が800を越えると何らかの理由で死ぬとか聞く限り、無害ということはないと思います。吸っている本人にしても、体力の低下や風邪などの際に咳き込みやすくなったりと自覚はあるのではないでしょうか。

また、慢性的に吸っている間は自覚は減りますが、急にニコチンを摂取した際にめまいや酩酊感に近い感覚があったり、心拍数の上昇、血圧の上昇などは自覚できる人も多いのではないでしょうか?それらが、直接、体に悪影響を与えているかは分かりませんが、それほどまでに、体に急激な影響を及ぼす劇物を摂取しているのは事実で、劇物の摂取が慢性的に見て体に好影響を与えるとはあまり思えません。

それらの自覚はあって、止めたいと思っている人間が殆どなのに、あまりに強い依存の為に止められない。止められない事実を正当化するために肯定的な側面を見いだし信じ込もうとする逃避をする。そういうケースが多いのではないでしょうか?

では、喫煙者が悪いのか、と言われると難しいところです。始めた理由は何であれ、始めてしまったことと止められずにいるのは、ある種の不幸ではあり弱さでもあるとは思いますが(一方でこう書くと、タバコを愛していて止めるつもりはないと主張する喫煙者の方からは勝手なことを言うなと言われるでしょう。かつての私自身がそのような主張をしていただけによく分かります。これは後述)。しかし、20歳を越えてタバコを吸う権利は法的に制限を受けていません。ですので、私はこう考えています、法律が悪いと。最初から禁止していれば、喫煙者も犯罪者として取り締まれるし、販売だって違法になる。一般に販売もされておらず、入手しても所持が違法となれば、ニコチン依存症患者が発生する確率はずっと小さくなります。社会的な損失なんて不透明な数字を算出するくらいなら、全面禁止に向けた施策を考える方が有益でしょう。

当然、既に喫煙者がいて、その多くが依存症に陥っていると推測される以上、彼らの権利も保障されなくてはなりませんし、一方でJTをはじめとするタバコ販売で食ってる方々の反発もあるでしょう。なので、実際にはそれらに配慮しつつゆっくりとしかし確実にタバコ産業を殺していく必要があると思っています(今のタスポ騒動はそういう意味では素晴らしい施策です、タバコ販売のみに依存しないコンビニに全てのタバコ販売を集約することを目的とした施策ですよね?え?違うんですか?)。例えば、記録をとるなどして個人が1日で購入できるタバコの本数を制限するとか(普通にやれば購入代行業などがはびこるだけでしょうが…)、段階的に喫煙可能年齢を引き上げるとか(2年に1歳引き上げで60歳位まで80年かけて引き上げれば喫煙者も激減するのでは?)。流通するタバコを減らす、喫煙者を減らす施策が行われてしかるべきだと。しかし、それは行えない。税源として大きく、かつ使いやすいという政治的事情があるからです。その象徴がタバコ1箱1000円騒動でしょう。

たばこ税の使い道

たばこ税の実態に関しましてはこちらのサイトが分かりやすかったですので、いつも通り無断で直リンします(トラックバック?ん〜、昨日の内容の後でトラックバック貼る度胸はないよ〜)。

http://blog.livedoor.jp/sanukikun/archives/50941023.html

タバコ税なんだから、喫煙者の喫煙環境と分煙を完全にするための施策に使うべきだと思っています。他の分野に投入する部分があるのは仕方ないでしょう。しかし、簡単にマナーの問題などと切って捨てながら、実際には環境整備が全く整っていないというのが問題なのではないでしょうか?

管理維持費に資金がかかるとはいえ、実際に東京駅構内にあるようなガラス張りの喫煙ルームや、今は無くなりましたが秋葉原の中央通りの西側にあったJTの提供していた同じくガラス張りの喫煙ルーム(中で飲料やライター類などの販売をしていた)のような、きちんとした設備が必要でしょう。法的に、駅や大型建造物などにおいて必ずそれらの施設の設置を義務づける。一方で、設置運営費はたばこ税を税源として100%支給する。そうすれば、利用者も喫煙者ならば、お金を出しているのも喫煙者。そのような形の目的税として徴収するのが本筋でしょう。

現実には国の借金や増え続ける社会保障費などの分野に割り当てる為に、立場の弱い喫煙者から巻き上げられるだけ巻き上げようとしているだけにしか見えません。

喫煙者の方に言いたいこと

前述の通り、私は喫煙者は社会的な被害者だと思っています。しかし、タバコの煙や臭いが他人に不快感を与えているという事実には目を背けず、マナーの遵守などには努めていただきたいです。前述の通り、環境の不整備から、ルールを守っていても白い目で見られ、さらに不当なルールを押しつけられることもあるでしょうし、それらのルールを適正なところに持っていく努力はしなければならないのでしょうが、一方で電車を降りるなり駅構内の階段においてすでにタバコに点火しているような馬鹿も沢山見てきました。同じ喫煙者として、お前のような奴がいるから(非喫煙者と喫煙者の)戦争が終わらないんだ!と殴り倒してやりたかったりしたことも多かったです。くれぐれも、マナーの遵守(と他人を気にすること、吸う権利はあっても迷惑かけるんじゃないかと思ったら自重するくらいの)をお願いいたします。

止めたいと思っている方。頑張ってください。しかし、依存症という病気であるという自覚は持って下さい。意思の強さだけで止められるほど甘くはないと思います(逆に、意志の強さだけで止められたという方の場合、1日の本数もせいぜい10本など依存の程度としては軽微だったのではないでしょうか?1日40本となると喫煙室にちょくちょく行くほか、拘束時間以外は殆ど咥えてますので…)。私の場合、結局直接医者にはかからず、2ヶ月のニコチンガムだけでなんとか止められましたが、ニコチンガム無しでは無理でしたでしょうし、ニコチンガムを減らす過程やニコチンガムも完全に止めた3ヶ月目等は仕事にも影響が出るくらいでした。医師に適切に相談を行い、保険の利くニコチンパッチなどの処方をしていただくのが良いのではないでしょうか。それに、今ならタスポという禁煙の強い味方もできましたしね!

愛煙家を標榜される喫煙者の方。私もかつてそう言っておりました、いわば裏切り者ですので、特に言えることはありません。人には、タバコを吸う権利はあり、ルールを守って他人に迷惑にならないように喫煙している分には、誰にも咎めることはできません。別に、「タバコで寿命が縮まっても愛するタバコを吸えない人生などには価値がない」とか「どうせみんないつかは死ぬんだからやりたいことをやろうよ」とか「オレは畏れてはいない、死ぬことなんて!」とか、いや、言わなくていいですから。理屈上、貴方は正しい。ただ、その正しさを吹聴して回るのは鬱陶しいので止めてください。ましてや、その正しい理屈を説いて回ることを、心の奥底にある感情をごまかす糧にするのは止めてください。

そんな次元を超越した、悟りを開かれた愛煙家の方には、なおさら申し上げることなどございません。教えを請いたいとも思いませんが。

1箱1000円議論はどうよ?

絵に描いた餅、捕らぬ狸の皮算用、という評価はあちこちでありますね。個人的には3年くらいは(犯罪率の上昇というオマケ付きで)税収が増えるんじゃないかと思っています。

私は増税していくこと自体には反対ではないです。ただ、前述の通り、その使途に関しては、現状の消費税増税の代わりというのは全く納得がいきません(効果も持続的とは思えませんので代わりにさえなりませんし、後々に用途がより一層不透明になるだけでしょう)。まずは喫煙者へ還元する目的税の部分を確保するのが本筋でしょう。

また、増税の単位は少しずつでないと、弱者からの搾取にしかなりません。20〜30円という毎度の値上げの度に、喫煙者側が禁煙したり本数を減らしたりと調整をするために約1〜2年ほどかかっています。それを一気に行うのは、最初の何年かは喫煙者側が対応しきれないと見越しての、いわば弾圧にしかなりません。時間をかければ、自分の適正な支出範囲に合わせた喫煙スタイルに適応は可能でしょうが1日40本だった人間が、ある日から13本に抑えろと言われても対応できません。

その対応ができないと分かっているから増税するんだし、だから税金が増えるんじゃん、馬鹿だなぁ、という無責任な発言もあるかも知れませんが、それは依存症患者の不当な弾圧でしかないでしょう。あまり適切な例ではないですが、アレルギー患者の薬に1日分当たり税金を1000円かけよう、そうすれば税源が潤うよ!と言われたらアレルギー患者にとってはたまったものではないでしょう。アレルギー、が気に入らないなら他の病気を入れてみてください。自分が慢性的に煩っているものがあればそれを入れるのがベターです。タバコ依存症の人間からすればそういう認識ですから。

因みに、私の場合でしたらかつて年間14400本程度のタバコを吸っていたわけで、300円換算で年間のタバコ代が216,000円程度、まあ、学生時代のバイト代も半分はこれで消えてましたしね〜。それが、700円負担が増えれば504,000円の負担増ですからねぇ。流石に学生時代では無理でしたでしょうし、今でも止めて良かったなぁ、としみじみ思います。

急激なタバコの増税の別の弊害は治安の悪化に繋がることでしょう。低所得者層を中心として生活が傾く人間が増えることにより、万引き、タバコ自販機の破壊などに始まり、タバコ代欲しさの犯罪なども間違いなく増えます。そうでなくても、ニコチン不足による激しいイライラ感により傷害や器物破損などの犯罪も増えそうですし。

このような観点から、実態を見ない急激な増税議論には絶対反対と考えております。ぶっちゃけ、ニコチン依存に陥ったこともない奴が勝手なこと言うな!と言いたい…。

一方で、段階的な増税は、低所得者層の方のタバコ消費量の段階的な抑制と、喫煙者数の減少には確かに効果はあると思っております。また、段階的に増税されて1箱1000円となったとしても税収はそこまで減りはせず、最終的には高所得者層のみに喫煙者が残るのではないかと思っています。そして、それは肯定的に受け入れて良いのではないでしょうか。次善策でしかありませんが、若年層の喫煙を抑制し、高齢者層のみに喫煙者が残る形は、平均寿命の抑制にも寄与しそうですし、高額納税者の海外への逃亡(と高額納税者が世の中を動かしている事実)のために所得税などの直接税の累進課税を強化することが困難な昨今において、不公平感はぬぐいきれませんが、高額所得者からの徴税の強化という意味でも、私は歓迎して良いことだと思っております。もちろん、喫煙者への還元は必要ですが、喫煙者の絶対数が減れば施設などにかかる費用もある程度抑制できますしね。

このような効果を鑑みるに、私としては増税そのものは進めるべきだと考えるわけです。しかし、それは、恒久的な税源としてではなく、タバコによる被害者を減らしていく施策の一環として実現可能なものとして、と言う観点でです。